「実践しよう」と言われても実践に移れないのはなぜなのか?


こんにちは!!

ライフチェンジングコーチD.Oこと、尾﨑大祐です。

さあそろそろ春も間近となってきましたね!!

もう既に日中正午は、屋外でも上着の要らないくらいに

暖かくなってきましたね。

学校はもう卒業式を終えたところもありますし、もうすぐ卒業式というところもありますが、

終わりがあれば次は始まりですし、別れがあれば次は出会いが待っています。

春はお正月よりも「さあやるぞ!!」が訪れる季節ですよね。

新たなチャレンジがスタートするのです。

皆さんはこの春、新たなチャレンジに向けて、

今までに一所懸命準備してきたことや勉強してきたことを

「実践」する時がやってくるのではないですか?

でも、「実践」という言葉を素直に受け止めて、

100%前のめりになって、自ら全力で戦いの場所にデビューすることはできますか?

心からワクワクして実践をしたいって思えていればいいのですが、

実践と聞いても、実践と言われても、

バンジージャンプの台の先端にいるかのように、

どこか飛び込めない感覚って出て来ませんか?

今回はそんな実践というチャレンジやスタートには必ず大切な言葉に対して

かねがね思っていたことを語ってみて、

皆さんはどう感じるのか?などをシェアしてみたいと思います。


実践という言葉に対する印象ってどんな感じですか?


やりたいことがあって達成したいゴールがある時、人はそれに向かって進んで行きますよね。

でも、具体的にどうやって行けばいいのか分からないような

初めてチャレンジすることや、何日にも亘って進めて行くことだった場合、

スタートする前に先ずはある程度情報を集めたり、

そのノウハウを身に付けるために勉強をしますよね。

それからいざスタートを切っていくと思います。

そして、そのスタートを切る前に教育機関を受講してデビューの準備をする形をとった場合では、

トレーニングのように、受講中ではメンター(先生)が横に居ながら(正式にはアフターフォローという形)練習を重ねる流れが用意されています。

そんな時に先生から(成功者から)必ず伝えられることがあります。

それが、「実践しよう!!」という言葉です。

この「実践」と言う言葉、皆さんはどんな印象を受けますか?

あなたが「実践しましょう!!」と直接言われたとしたら、どんな気持ちになりますか?

おそらく「はい!やります!!」と気合いを入れて返事をしたとしても、

「やらないといけないのか…」と、どこか身構える感じがないでしょうか?


実践という言葉の裏側にある独特な性質とは


その物事をちゃんと実現させるためには必ず大切となるため、

先生や成功者は「実践、実践」という言葉を繰り返し用いります。

その大切さはよく分かっているのだけど、でも言われるたびにどこかプレッシャーを感じて怖張ったり、

逆に腰が重たくなる感覚になるのであれば、その言葉って本当に適切なのでしょうか?

実は私は、メンター的な立場で仕事をしている者のくせに、実践という言葉が嫌いです。

ですが私も実際には、実践することに立ち向かい、

そして、実践の大切さを伝える職をしています。

現在、私達の様な職業では「実践」という言葉を掲げ、

それを訓練中の方に届けることがまるで自身の使命かのように多用している一面があるのですが、

正直なところ、それには本音はそれを唱える立場の私達自身の成功哲学や美学を伝えて

自身の権威を世の中に広めて行こうとしたい心模様がどこかにあったり、

自身も受講生時代にそう教育されて来たことで確かに実績を出してきたことから

どうしてもその言葉で表現してしまうのではないか?と、私はそのように思うんです。

ですが、実践という言葉から伝わってしまう印象が

「上から」だったり「作業的」だったりする印象で捉えられてしまった場合、

それだと逆効果を生んでしまいますよね?

そうであるのなら、私はあえてこの言葉に変えて伝えて行きたいのです。


この言葉で伝えられれば、自然と実践に向かえるようになるのでは?


それが、「体験」という言葉です。

その前に改めて伝えておきます、「実践」という言葉には力があります。

ですが、力にも属性やがあり、その力が他者からの強制力なのか自身が湧かす創造力なのかの2つがあります。

いわゆる、「しなければ」と啓発させる方の属性と、「したいな」と彷彿させる方の属性です。

行動って、できれば自然とやりたくなる作用を大切にしたいじゃないですか。

でも、発した言葉、伝えた言葉、届いた言葉によってわりかし結果が左右されてくるのが

言葉というものの威力です。

確かにいちいちそのことを気にして言葉を選ぶような暇なんかないのかも知れませんが、

述べた言葉によって、愚直に明暗や進路が分かれて来るのあれば、

できる限り言葉をより良い物へと変換して、受け取り手への印象を操作してあげるべきだとも思うんですね。

なので、「学んだことを実践しよう!」というフックとなるような言葉よりも、私はもっとシンプルに

「文章や音声や映像や対面で学んだことを、実際の場で体で体験しよう!」

でいいんじゃないかと思います。

私の場合は、受講中に実践って言われてきた度に

「成功しなきゃ!…分かっているからちょっとそっとしておいて…」的な圧を覚えて来ました。

私の中ではI Will(したい)でいたはずの気持ちが、

Must Go(しなければ)になって行ったのです。

そう、心理的リアクタンスがかかってしまったんですね。

心理的リアクタンスとは、言葉を伝えられた時、

分かっているのだけど、ちゃんと言葉を受け取って意識的には承認したのだけど、

潜在意識レベルでは心に刺さっていない状態のことをいいます。

人って原則、誰かに決められたくないので、

大人として、立場としてYesとは言ったものの、

無意識になるとその気持ちがどこかに行きてしまいます。

そしてその、どこかに行かせるモノはなんなのかというと、

心理的リアクタンスがかからない「自分が誰にも言われなくてもやりたくてやっていること」によってその意識が蹴飛ばされることから、

自分以外の外部から圧を与えられたと感じるモノは、自分の中では無意識に後回しになるのです。

だからこの、心理的リアクタンスを極力無くすように持って行かないと、

結果を出すことを求めているのに、その大切な言葉が届かずに終わるのです。

なので、単に「実際に肌で触れてみる」くらいの言葉で表現した方が人らしくて、

受け取り手にもマッチしやすいんじゃないのか?って思います。

実践って言葉は「成功のためにはマスト」である感じが否めないところがあり、

イコール、「失敗がダメ」みたいな感覚も同時に覚えてしまうのです。

逆に体験って言葉は、失敗となったとしても「失敗と直に捉えなくていい」感覚を覚えるので、

「失敗さえ成功の一部なんだなあ!」って感じで

ストンを受け入れられるのではないかと思います。

体験とは、優劣の概念で進捗を測るものではない

単純に日常の出来事に対して当てはめられる単語であり、

身構えないでやっている状態が目に浮かぶじゃないですか。

「学んだら何かしら『デモ』でもいいので体験しよう!」って感じで、

例え学びと体験が完全一致しなくても、

生活の中によくある場面から似たような体験ができるだけでも

それは進捗だと思うのです。

だから、私は学んだら実践しよう!ではなく、

「学んだら体験をしに行こう!」で伝えて行きたいなといつも思っています。

今回は単に私の思っていることをお伝えさせていただきましたが、

現在受け取り手となる立場にいる皆さんは、実際のところどう思われましたか?

最後までお読みいただきありがとうございました☺︎