どうして人は一人だと上手く行かないことが多いのか


こんにちは!!

ライフチェンジングコーチD.Oです。

これは、誰にでも多かれ少なかれ経験があるのではないかと思うのですが、

「企画というものを一人だけで成し遂げたこと」ってありますか?

ここでいう企画とは、何ヶ月かかけて少しづつ作業を繰り返しながら進めて行って、

やっと思った通りの形にできるような物事のことを言っています。

このような、「企画を考えて、戦略を練って、計画を立てる」ことが大切となる、

自分が何をやろうとしているのかや、何を使えばそれが成せるのや、

どれくらいやれば完成し実現するのかが分からないようなことって、

必ずどこかで誰かに聞いたり、誰かの本やブログで調べたり、

誰かを誘って一緒にやったりしてきたのではないかと思います。

これが特別、企画じゃなくても、手続きや処理など

生活上のありとあらゆる「進めないといけないこと」は、

例えば最初は一人で始めたとしても、途中から

一人では上手く進めることができなかったりしませんでしたか?

煮詰まるというか、気持ちが重たくなるというか。

これ実は元々から、「人は一人だとほとんどのことができないように作られている」からなんですね。

それはどうしてなのか?

今回は、人が一人で何かを達成しようと頑張ると、

どうして思ったような結果が出せないのかについてお話してみたいと思います。


「自分でできる」と思いやってみると、できることが全体の中で少しだけだったりするのはなぜか?


誰だって、物事を始める時は

「よし!こんな感じでやってやる!」とか「これくらいのこと自分でやってやる!」という風に、

凄くやる気がみなぎってはできるような気持ちとなって、

最高に実現できそうな気分でスタートするものだと思います。

思い立った時ほどやりたくて、これはできる!と思ったから始めるわけです。

なのに、何日か経って何ヶ月か過ぎ、あれだけやりたかったことだったのに、

やりたくて叶えたくて、何度もやり切ると自分に言い聞かせては

やり遂げる意志を確認したはずだったのに、ふと気づくと

「あれ、できていない…」「あ、最近全然進めていない…」と、

少しだけしかできていなかった現状に「ハッ」とした経験はなかったですか?

やる気とは裏腹な結果に、訪れたのは「虚しさ」。

それは、見えなかったからだと思います。

何がかいうと、自分のことがです。

人は、見えないと、ほとんどできないのです。

視覚障がい者のことを無能だと言っている話ではありませんが、

動物は、見えるから、見えるようにするから

結果を獲得することができるようになっています。

だから、最後までできると思ってやっていたけど

いざやってみると少しだけしかできていなかったりするのは、

私達が「自分のやっていることが客観的に見えていないから」なのです。


人は基本的に、自分を見ることができないようになっている


魚は、水を見ることができません。

これは、フランスのことわざである、

「魚は水の存在に気づかない」より応用し表現しているのですが、

自身がその中に居たら、居る媒体は見えないってことを伝えているものです。

これ、私達人間にも当てはまるものがあります。

それが、「人は、自分を自分で見ることができない」ということです。

人は、魂として自分の身体の中に居るため、

自分で自分を見ることが物理的に不可能だからです(鏡を通して見えるものさえ容姿だけです)。

私達はよく誰かから「自分を客観的に見たほうがいい」などとアドバイスを受けては

それを一生懸命に意識して、自分を客観的に見ようと心がけながら頑張っていきますが、

でも、その見方さえよく分からなかったりしては逆にモヤモヤするようになり、

結果的に上手く行かなかったりした経験はありませんでしたか?



人は「自分を客観的に見る」なんて、正しくはできないのですね。

もちろん、自分を客観的に見ようとする気持ちって、

誰にでもある強い気持ちの一つだと思います。

そのために私達は、自分が今どうなっているのかやどう見えているのかを確認するために、

他の人に相談したり意見を聞いたりと、誰かの話を必要としながら生きているわけです。

そう考えると、結局私達人間は、誰かがいないと自分のことが見えないんですね。


自分を客観的に見る唯一の方法


だからこそ、「自分の横に、他の誰かを置く」のです。

横に他の誰かを置くと、自分を「もう一人の自分から見ることができる」ということです。

自分を客観的に見るって、本当は、他の誰かがやってくれるものだったのです。

その時に、自分のことを正しく専門的に見てくれる人がいたとしたらどうですか?

そりゃ誰だって、自分のことをよく理解してくれていては、

自分の言いたいことや伝えたいことを

いつもよく聴いてくれる人の方がいいですもんね。

ということは、そのもう一人の自分の役をしてもらう人って、

誰でもいいってわけではありませんよね?


自分の見えないところを「もう一人の自分」となって見てくれる人は、誰がいいのか


では具体的にどんな人がいいのか?

もう一人の自分の役をしてくれる人は「主観的に意見を言わない人」であることが大前提です。

誰でも最終的には、自分のことは自分でやりたいのですから、

「この方がいい」とか「こうしないとダメ!」などと、

例え正義感があり正しいことが分かっている人だとしても、

それを押し付けてくるような感じの人では

もう一人の自分にしたいとは言えないと思います。

自分の見えないところを見てもらうことが目的でその人を横に置くのだから、

意見を言って指示するような人ではなく、「事実をそのまま伝えてくれるまでの人」が

本当の、もう一人の自分と言える存在なのです。

その専門家が、コーチです。

コーチは、もう一人の自分となるプロフェッショナルです。

コーチはいつも、とことんまで聴き手となり

とことんまで良き理解者となり、とことんまで味方となるよう

最大限に意識して、コーチを務めているのです。

世の中には「弁護士」という職業の人がいると思いますが、

弁護は物事が良くないとされることについても

善悪をいったん置いておいて、とことんまで依頼者を弁護します。

コーチがそのように弁護したりとか身代わりになるということではありませんが、

人の話を聴いて理解しもう一人の自分となるためには、

善悪や甲乙や可否や優劣の概念を入れないで、

その人がどうしてそうしたかったの理由を、いわゆる「本音」を受け止めて認めてあげないと、

その人を支えて担うことはできないのです。

だから、そのまま

あなたのもう一人の自分となれる人の存在が

とても大切なのですね。

人は、もう一人の自分さえいれば

ほとんどことが達成できては、幸せになれるのです。

人生において課題となる、大切な物事を達成したり

解決して幸せになるためには、自分が2人必要だったんです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^)