「神様から観られている」って意識しながら生活したことってありますか?


こんにちは!

ライフチェンジングコーチD.Oこと、尾崎大祐です。

皆さんは、「神様から観られている」って意識しながら生活したことってありますか?

誰もが一度はそう考えたりそう思い浮かべたりと、

意識したことがあるのではないかと思います。

例えば、大変な状況に陥った時やこれから大きなチャレンジをしようと決意した時では

神社やお寺に行ったりすると思うのですが、それもその一つですよね。

そのように人は、見えないもの(心の中にあるもの)を描いては

行動をとるきっかけにすることがあります。

その時って、どんな気持ちになりますか?

そして、何のためにそうするのでしょうか?

それにはちゃんと理由がありますよね。

きっと、自分の中に何かの効果が現れては、それが大切だと思うくらいに

実感していることがあるからだと思います。

では、その見えないものを意識することがどれだけ大切で、

その作用を暮らしに活かしてはどのような効果を生み出せているのでしょうか?

今回は、見えないものを見るようにすると起きて来る

大きな効果についてお話したいと思います。


「トイレの神様」の話


先日、親戚に行ったとき、トイレを使っていると

目の前にこのような名前のお札(おふだ)が立ててありました。

「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」

コレ、トイレの神様らしいです。

…強そうで怖そうですよね(笑)

「トイレには〜それは〜それは恐ろしそうな〜♪」な神様がいるのが本当の正解のようでして(笑)、

この世の不浄を撲滅するために立ち上がった仏様らしいです。

なのでこれまた正式には、神様がいたのではなく仏様がいたのが正解で、

もっと恐ろしい話だったのです(笑)。

恐ろしいとはホラーではなく「ちゃんと見られているからちゃんと励めよ!!」レベルが

99だという方向です(笑)。

おかげさまで、無事トイレをキレイに使うことができましたし、

心の排泄もできたような気がしました(笑)


観られていることを逆手にとってみるとこんな効果がある


誰だって、観られていると思うと、本当はどこか嫌ですよね。

ですが逆に、人って観られていない環境の中では

結果的にどんなことになるのか分かりますか?

これは私の実体験なんですが、私が独立して間もなかった2011年。

私は初めての起業によって出勤が無くなりました。

その瞬間、実際のところ「最高の自由を手に入れた」と高揚感に浸っていました。が、

まもなく、よく分からない、体験したことのない苦しさを覚えるようになって行きました。

これ、「誰にも観られていない」ことから全て発生した物事なんですが、

見事に朝が起きれなくなりました。

そして、平日日中に朝から普通に仕事をしていかないといけなかったのに、

毎日正午まで寝てしまい、起きた瞬間にショックを受けて凹むんです。

これが毎日繰り返されていたんですね。

仕事をしないとご飯が食べられないのに、人々は毎日普通に出勤し働いているのに、

自分は観られていないから「いつでもいい」という感覚が無意識に出始め、

本当は心からそうしたくないのに、どうしても怠けてしまうんですね。

それが徐々に死活問題となっていき、だんだんと誰にも言えないくらいに悩みとなって積もって行き、

終いには、自分がなんなのかや自分の伝えたいことが分からなくなり、

起業したことがいきなり危機をもたらして行ったのです。

それくらいにとてつもなく訳の変わらない感覚と実状に襲われました。



正直、仕事どころではないレベルの苦しさだったのに、

私は自ら、仕事をしないと生活できないことが

めちゃくちゃハッキリしている道を選んでいたわけです。

そんなどうしようもないコケ方をした結果、そこからこれだけはハッキリと分かったことがありました。

それが、「誰かが目の前にいるから、誰かが向こうで待っているから

イコール、観られているから、”ちゃんとしないとな”意識が無意識に常に持てて、

それがあるから人は、ちゃんと自分を律して物事を進めていくことができていたんだ!!」

ということだったんですね。

だから実は、人は観られている方が結果的には良いことが多いのです。

それと、観られている意識ってのを「見守られている意識」に変換することってできますか?

その方法がまさしく、「神様が見てくださっている」というやつです。

人は、人から観られているのは本当は嫌です。

でも観られているからこそ、自分が保てれているという理屈もある。

そして、自分一人で何かに立ち向かっていたり、大きなチャレンジをしている時に孤独感があったり、

私の情けなかった頃の様に途方に暮れているような現状である時に、

誰かが観ているということを逆手にとることができたら、どれだけ自分がちゃんとやっていけるのか。

そんな状況の人たちこそ、心の中に神様を存在させる気持ちや行動を取ってみて欲しいんですね。

神様から観られているのは「見守られている」方なので、このスキルを身につけることができれば

逆に大きな安心と優れた結果を得られるようになります。


実は、この理屈を応用して、目で見えるようにして肌で感じ

噛みしめられるように開発されたものが「コーチング」なんです。


結論、観られていた方が人は凄くなれる


どうでしょうか?

観られている方がいいとはお伝えしましたが、正式には

「見えない世界をあえて心の中で観ることによって、逆に自分がいつも観られている意識を作ることができる」

ということを伝えたかったのです。

コーチングにおいても、現時点では目で見ることができない

自分の心や頭の中にある想いや考え、そしてこれからに描く望んでいる未来を

見えるようにしよう!というプログラムですよね?

そして、見えるようにすることによって、観られていることや見守られている感覚を作り出し

自身をフワフワさせないようにして、しっかりと実現へ歩めるようにしていきますよね。

観られていることや、見えないものを観ようとする気持ちは、「信念」と言うんですね。

だから、「自分の力でやっていくんだ!」という、本当に素敵な心を持つことができた皆さんは、

一人にならないで、必ず見守られている環境を横にセットして、

未来の幸せを叶えるために、いつも信念が見えるようにしてほしいのです。

それが、「神様から見守られている」「仏様から見守れている」ことの意識の大切さです。

コーチも神様や仏様と同じで、観ている方ではなく、「見守っている方」です。

だから、パートナーとなる皆さんの意見や気持ちを必ず尊重し、否定をしませんよね。

皆さんがコーチングセッション中に、幸せそうにセッションを楽しんでおられる様子ってのは

そうだから生まれているのではないだろうか?と思います。

実際、形はどんなものでもいいと思います。

もし一人で悩んでいたり、一人で立ち向かっていたりしているのなら、

見守られている感覚や作用を作ることができるだけで、

結果が出るようになるのです。

人は頑張らなくても成長するのが普通です。

でも、頑張らないといけない状態になっているのなら、

それはこの、「観られている形」が正しくないだけだったりします。

なので、その歪んでいるものを本来の状態に直すだけで、

人は進んでは伸びるようになれます。

元々この設定が、誰かの手によって整えられていたからこそ

私達は、子供の頃からここまでちゃんと成長できたわけですし、

そこに勤めて言われた通りに仕事をしていれば

普通にご飯が食べれていたわけなんです。

観られている環境ほど、見守られている環境ほど、

こんなにも成長することはないということです。

そこから色々あって一人になった瞬間から、

今まで普通だったことが歪み出してくるのだから、

どんなに凄い人でも、自分を誰かや何かに観てもらうようにしているのです。

誰かがいると思うから、私達は本当の自分でいられるようになる。

これが、人が達成すべきゴールだと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。