同じような存在なのに、なぜ神様と仏様は別物とされているのか


こんにちは!!

ライフチェンジングコーチD.Oです。

皆さんは普段、お寺へお参りって行きますか?

あれ、お参りと聞くと、神社へお参りすることはあっても、

「お寺にお参りしている人なんてあまり聞かないよね?」と思う方の方が多いのではないでしょうか?

でも実は、お寺もいつでも、参拝ができるようになっています。

お寺って、昔は今で言う「公民館・集会所」だったので、

毎日誰が訪れても良いようになっているのです。

そしてそこに行けば仏様がいらっしゃっては

私達を見守ってくださっているわけです。

でも私達はお参りといえば神社へ行き、神様を拝みますよね。

同じような拝む存在として神様と仏様がいらっしゃるのなら、従来通り、

「神様がいる神社へ参拝してさえいればいいのでは?」と思われるでしょうが、

本当は、別で仏様へも参拝をしないといけないってことを知っていましたか?

この2つの存在って実は、全く別物であり、

それぞれ存在の在り方やその意味が違っているからなんです。

だから本当は、お寺へもお参りに行かないといけないのです。

それにはちゃんとした、こんな理由があるからなんですね。

その理由とは、一体どんな理由なのでしょうか?

今回はいつもとは少し雰囲気を変えて、一言コラムのような感じで

その理由をお伝えしてみたいと思います。


神様と仏様は両方とも拝むものだけど、それぞれ大きく理由が違う


私は10年ほど前から現在まで、定期的にお参りしているお寺があります。

当時私がまだまだ若くてむちゃくちゃしていた頃、

その良くない行いが因果として還って来たことで

激しく人生をボロボロにしてしまったことがあり、

そんな時にご縁があり、そのお寺を訪れたことがきっかけで

お寺に参拝へ通うようになりました。

その頃の私は「出来事は殴って片付けていけば早い」と

大馬鹿な考えで生きていたんですが(笑)、

このお寺に通うようになってからの私は、

「良くない出来事を人のせいにしない」自分へとなれました。

そして、「良い出来事は皆さんのおかげ」なんだと、

感謝する自分へとなれたんです。

そして現在の私へと至っています。

これ、もし仮に神社へお参りしていたとしたら、どのような今になっていたと思いますか?

もちろん、神社へお参りをしていたとしても

悪い方向へ行くことはまず無いと思えますし、

何かしら良い方向へ行っていたとも思えますよね。

でも、この内容だと経緯からして、どちらかというと

神社へ参拝をするよりもお寺へ参拝する方が合っていたと感じませんでしたか?

誰に習ったわけでもありませんが、私達は

神様へ願うことと仏様へ願うことを、無意識のうちにちゃんと分けているんです。

それくらい、「神様と仏様の存在は全く別物」として考えられては、

導かれる方向や道が2つに分かれるくらいに、存在の理由が違うのです。

でも、神様も仏様も、私達人間が今生で生きて行くことにとって

同じように大切にしなければならない、祀られる存在ですよね。

だとしたら、私達は日頃なぜ

神様ばかりにお祈りをするのでしょうか?


神社へ参拝をするのなら、お寺へも参拝をするべき


そんなことがきっかけで今に至っている私は、こう思うことがあります。

私達は良いことを願っては神社へお参りし、神様へ

「良いことが起きますように」とお願いをしていますが、

本当は私達はお寺に参り、仏様へ

「私達から良いことをさせていただきます」と

告げにいくことの方が先ではないのでしょうか?

それがあってこそ、「神様や仏様に認めてもらえる自分となれ、

神様や仏様からおかげを頂けるようになるのでは?」と思うのですね。

だから私達は、「良いことが起こるのを願う人」ではなく、

「良いことをさせていただくことを誓う人」になることの方が大切なのでは?と思うのです。

でも本当は誰もが、自分一人の時にどこかでその大切さを想っていて、

けれど、この世の中の強い渦に飲まれながら生活をしているため

それを忘れているなんだだけだと思うんです。


実は私達はお寺へ参拝しに行かなければならないのが正しかった


これを聞いて、あなたはどう思いましたか?

今までこんな感じで考えたことは無かったのかも知れませんが、

私はこの壮絶で大変な経験が人生に直撃したことがあったから、

そして、ここまでになれるまでに、言葉にならないくらいに

苦しくても「必ず変わりたい、必ず人生を変えたい」と

必死に無我夢中に今日まで歩んできたから、

仏様の大切さを伝えたいのです。

人は将来、神様にはなれないけど(正しくは神の子にはなれる)、

仏様にはなれるんです。

私達はその準備を今、肉体を持って生きている現世でやっているんです。

だから、仏様へお線香を上げて「させていただく」ことを告げるあなたでいて欲しい。

これ、実はコーチングでも同じことを伝えているってことに、あなたは気づいていましたか?

コーチングって正しくは、宗教や思想から発生しているものではなく

行動心理学や人間力開発から発生した自己啓発プログラムなのですが、

その本質は「人間として生きる私達の、心のレベルをアップをしていき、幸せな結果を自ら招き入れるようになる」ことなので、

「自分を信じること」「他人の幸せを願うこと」「素晴らしい未来を描き望むこと」を目指していくのだから、

神様や仏様を信じて、その存在に自分の心を誓い、そしてそのために生きることとまったく同じなのです。

なので、コーチングでも、

自身の心を確認し、自分の使命を見つけ出し、その志命のために目標を立てて、

そして行動をしていくことをプログラム化しています。

今生きている間に起こっている出来事の結果は、全て

「あなたの心が望んで生み出している」のです。

なので、本当に心から変わりたいのであれば、

信じて祈って誓って、「決断する、行動する、やる」自分を作って行ってほしいと思います。

才能、能力、技術、は要らない。

それよりも

願い、勇気、気持ち、が最も必要で

それらを最も大切にできるあなたであれば、

必ず幸せになれると私は思います。

私は今でも、形はボロボロのままで(片手片足のように失ったままで)人生を歩んでいますが、

私は今までの人生の中で、今が一番幸せとなれているのですから。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^)